母に対する勘違いを解くと、不登校だった娘が学校に行くようになり、仕事で新規のお客様も増えて

自分の子供の頃の思いが娘さんに投影されていると気づいて深層意識(潜在意識)のその思いを変えると、娘さんが学校に行くようになったという齋藤美惠子さんからお聞きしたお話です。

フォトグラファー
ブランディングサポーター
フラクタル心理カウンセラー


          山形県在住
齋藤美惠子さん

娘を不登校にさせていた思い

――学んだきっかけと最初の気づきをお聞かせください

娘は小学校5年生から不登校となりました。中学も入学後すぐにコロナ禍で休校となると、学校が再開しても登校せずに、昼間は寝て夜活動する夜型の生活を送るようになりました。私は以前、娘の不登校を何とかするため、フラクタル心理学の家族関係コースを受けたことがありましたが、体系的に学びたいと思って、マスターコースを受講し始めたのが2年前のことです。

私の母は朝早くから夜遅くまで仕事で家にいなかったので、私はおばあちゃん子で育ちましたが、講座で子供の頃を振り返ると、「もっとお母さんと一緒にいたかった」「話したり、出かけたりしたかった」という思いが心の中にあることに気づきました。

結婚して実家を継ぎ、現在は夫と息子と娘、母と同居していますが、講師からは「『お母さんと一緒にいたかった』というあなたの思いが娘さんを不登校にさせています」と言われて、すぐには信じられませんでした。母は授業参観など学校の行事にもほとんど来てくれず、「仕事に行かないで」と願ったこともあったので、満たされない思いが残っているのかもしれません。そこで、講師から教わって深層意識の中の母への勘違いを変えるための修正文を作りました。

「お母さんは忙しくて一緒にいてくれないと思っていたね。そして、お母さんは私のことを可愛くないんだ、と思って、もうお母さんの言うことは聞かない!と決めたんだね。でもね、それは勘違いだよ。お母さんは、あなたのことをいつも大事に思っていたんだよ。そしてあなたはもうお母さんがいなくても友達と仲良く遊べるよ。これからは反抗をするんじゃなくて、自分で歩くことをすればいいんだよ。その方が働けるし稼げるよ。反抗をやめてお母さんを見習うといいんだよ。そしたらお母さんのことを尊敬できるし、あなたは地位が得られるよ」これを気づいたときに読み返すようにしました。

母への謝罪と感謝 実家を継いだのは自分の選択

――お母さんへの思いは変わりましたか?

講座では、愛は一緒にいてくれることではなく、成長させることであり、働いて養ってくれることも愛だと学びました。母には何不自由ない生活をさせてもらっていたので、十分愛されていたと納得できると、恥ずかしい思いでいっぱいになり、母に直接謝って感謝の気持ちを伝え、心の中でも母への謝罪と感謝を唱えました。しばらくすると、娘は朝起きるようになり、学校へも週に何回かは登校するようになったのです。

また、以前、学校に行きたくない理由を聞いたときに、「何で行きたくないのかわからない」とか「面倒くさい」と言っていましたが、「面倒くさい」というのは、実は私の中にもある思いでした。怠け癖がちょいちょい出て、仕事でも家事でもすぐやらずに後回しにしていたのです。

――どうして面倒くさいと思うのでしょうか?

私には6歳上に姉がいるのですが、高校を卒業するとすぐに東京に行ってしまったので、「先に出た方が勝ち」と姉をうらやみ、実家を継がされたと感じて、何をするにもイヤイヤ感が出るようになったのでしょう。

すると、講師から「あなたが継ぎたかったのだから、全部あなたがやらなければいけません」「自分がその状況を求めたのだから、イヤイヤではなく喜んでやりなさい」と諭されたのです。「お母さんが自分のやるべきことをやれば、子供も自分のやるべきことをやる」とも言われたので、「何でも自分からやれ」と自分に言いながら、父の法事の段取りや、親戚との付き合い、町内会のことなどを進めました。

すると、それまで娘は何か頼んでもイヤイヤ手伝っていたのに、今では、進んでやってくれるようになり、夕食を頼むと、「わかった」とすぐに動いて作ってくれるようになったのです。

愚痴をやめる 娘が頻繁に学校に行くように

――ほかにも変化したことはありますか?

「子供をやめる」「自立する」「責任を取る」の3点セットでずっと深層意識の修正をしてきましたが、「大人の思考に変えなさい」「責任を取ることを常に意識するように」と言われて、自由の概念も変わりました。今までは子供のように好き放題やるのが自由と思っていましたが、自分で選択できることが自由であり、自由には責任が伴い、自由と責任がセットだと知りました。

私の顔を見るたびに、母が仕事関係や町内の人の愚痴を言ってくるのがイヤだったのですが、思えば私も幼い頃から、何よりも仕事を優先していた母を「おしゃれじゃない」とか「一緒にいてくれない」と心の中で愚痴を言っていたのです。私が愚痴そのものを言わないようにすると、母も愚痴を言わなくなったので、愚痴一つでもすべて自分から始まっていることがよくわかりました。

娘は学校の部活に入っていませんでしたが、外部部活として学校から認定を受けているキックボクシングジムに自分から通いだしました。学校にも頻繁に行くようになったので、その変化は大きかったと思います。

母への見方が変わり仕事でもエンジンがかかる

――仕事への取り組み方は変わりましたか?

上級講座で、母のことを書き出して俯瞰するワークをしたときに、当たり前に思ってきたことが、そうではないと気づいて、母への思いが大きく変わりました。母は山形名産のさくらんぼをはじめラ・フランス、りんごなどを、お店を構えず、全国のお客さまに発送していました。今でこそSNSやネットで集客もできますが、アナログな時代から全国にお客様をもっていたのですから、なんて凄い人なんだろうと母を見直しました。

母がおしゃれではないと思っていたことも、「仕事でそんなにいい服を着ていたら逆におかしいし、プロとしての意識があったからじゃないか」と受講仲間から言われ、美意識がないと思っていたことも、美しくおいしい果物を扱っているということは、実は美意識が高い人なのかもしれないと思い直しました。

母に対する思いが全肯定に変わると心が満たされ、これこそが「本当の癒し」だと思えました。母には全国的に商売をする手腕があるのだから、私にもあるに違いないと思い、背中を押された感じがして、このことをきっかけに仕事にも本腰を入れるようになりました。

これまではカメラマンとして個人の方の撮影しかしてきませんでしたが、雑誌掲載の写真や企業案件の撮影も依頼されるようになりました。ブランディングはオンラインで行って、母と同じように全国に広めたいし、法人化も目指したいと考えています。

また、フラクタル心理カウンセラーとしては、フラクタル未来計画手帳を使った実践会を毎月開催しており、今後も意欲的に活動していきたいと思います。母は79歳になり、今でこそ仕事は週に数回になりましたが、家の掃除もマメにして常に身体を動かしています。そんな母の血を受け継いだのか、娘は一人暮らしをさせても心配ないくらい、何でも自分でするようになりました。今年、高校3年生の息子は進学が決定しました。娘はこれから高校受験なので、希望の学校に進んで欲しいと思っています。

齋藤美惠子さんのホームページ 未来を先撮り「フューチャービジョンフォト撮影」

齋藤美惠子さんのブログ 自分らしく愛されてファンができるビジョンブランディング!

2023年1月発行TAWプレスに掲載
文:(株) Mamu&Co. 藤田理香子