子育てに追われる日々から一転して看護系大学の助手に

子育てで悶々とするなか、フラクタル心理学を学び、1年足らずで正規雇用の大学の助手として採用された金井美希さんからお聞きしたお話です。

     山梨県立大学 看護学部 助手
        フラクタル心理カウンセラー
                金井美希さん
                 山梨県在住

娘には私自身の姿が投影されていました

前世空想で見た私の思考

フラクタル心理学を学び始めたのは2019年の6月でした。ダウン症で生まれた次女は、その頃、幼稚園年中に通えるまでになっていましたが、より自立に向けて成長させたいと思っていました。

中級講座で前世空想のワークをすると、イメージのなかで私はお姫様の姿になり、私がいるだけで周囲が癒されて、幸せを感じる場面を見ました。それは、私の深層意識(潜在意識)の、「天使のように周りを癒し、なんでも与えられるだけの赤ちゃんのような存在でいたい」という思考を、前世にお姫様として見たものでした。次女を成長させたいなら、私自身を深層意識から成長させることだと言われ、「この世界には弱い人なんて一人もいない。みんな力を持っている。無力な人はこの世にはいない。だから、あなたは一生懸命動いて働きなさい」という修正文を毎日深層意識に伝えるようにアドバイスされました。

その頃、次女は5歳なのに固形物が食べられず、哺乳瓶でミルクを飲ませていました。血液検査では栄養状態が良く、発育も良かったのでそのままにしていましたが、「あなたは、娘さんを赤ちゃん扱いしたいのね」と講師から指摘されて愕然としました。哺乳瓶を手放させると決意すると、辛くて涙が溢れました。哺乳瓶に執着していたのは娘ではなく私のほうだったのです。そこから本気で次女に固形物を食べさせることに取り組みました。

5ヵ年計画で目標が定まる

中級講座では、人生の5ヵ年計画として、目標を書くワークがありました。もともと家事や育児の合間に子育てママ向けのカウンセラーをしていたので、仕事で月収を上げる、月に何人申し込みを受けると目標を書くと、「今までやってきたことを活かすような夢にしたほうがいい」と講師からアドバイスされました。

私は19年前に看護大学を卒業して看護師として総合病院に勤めたのち、看護系の大学院に行き、修士課程に進みました。大学院を修了後、すぐに結婚して再就職はせず、長女が産まれた後は訪問看護師をしていましたが、次女がダウン症だとわかり、次女の世話のため、もう看護師として働くことはないとあきらめたのです。

講師の言葉で眠っていた思いが目覚めました。「もし、これまでの経験や実績を活かせるなら、私はもっと生き生きと自分の役割を全うできる」、そんな熱い思いが込み上げて、「大学で研究をしたい、論文を書きたい」と目標を書き換えたのです。

すると、ほどなくして、大学院でお世話になった先生から、看護系大学で非常勤の仕事をしないかという話が舞い込みました。それから日を経ずして、障害児の療育施設で看護師のパートをしないかという話もきました。ほぼ専業主婦だった私に大学の仕事は敷居が高く、療育施設の仕事を選ぼうとすると、中級講座の講師やその頃受けていた夢実現講座の先生や受講生から「世話する思考はもう十分だから、もう手放して、大学の仕事を選んだほうがいい」と言われました。不安はありましたが、大学の仕事を受けることにしました。

出身大学からも仕事の話が来て

次女は嚥下訓練のかいもあって、次第に固形物も食べられるようになり、無事に地域の小学校の支援学級へ入学することができました。非常勤の大学勤務は5月から始まる予定でしたが、コロナ禍で授業ができずにいました。

この期間にオンラインで上級講座やカウンセラー養成講座を受講すると、私のなかには「私には無理、できない」と逃げる自分がいるとわかりました。講師から「自分が今までやってきたことを認めれば、自然と未来をつくっていく力が湧いてくる」と教えられて、子どもの頃からこれまで自分が成し遂げたことや、人から認められたことを書き出したり、毎日3行日記でその日にできたことを書いて、自分自身を認めるようにしてきました。

いよいよ9月から出勤というときに、出身大学の恩師から非常勤で来て欲しいという話が新たに舞い込みました。講師や夢実現講座の先生から、「起こっている現実は未来の自分が与えている」と言われて、自分が望んだものならやってみようと気持ちが切り替わり、9月から、二つの大学への勤務をスタートさせました。

しばらくして、出身大学の恩師から、「常勤で研究室の助手にならないか」という話を持ちかけられました。「非常勤でも子育てや家庭との両立が大変なのに、常勤なんて絶対に無理」と思いましたが、恩師から「あなたは博士課程に行って、そこでさらに研究を積んで、将来的には教授になってこの大学を背負っていく人なのよ」と言われて心が揺さぶられました。

研究をして論文を世に出し、社会貢献をする未来を思い描くなら、突然目の前に開かれたこの道は、その未来へ続く道にほかなりません。私にそこまで言ってくれる恩師の思いに報いたいとも思いました。その後、書類審査と面接審査を受けて、正式に大学の教員に採用され、4月からは研究室の助手として勤務することになりました。

主人への見方が変わり、娘たちにも変化が 

主人は医師ですが、LINEで私に弱音を吐くことが度々ありました。私はそのLINEを読んで半ば気疲れしていました。もともと主人の話を聞く気もなく、「私の方が大変なのに!」と心の中で怒っていたのです。講師からは、私には主人を見下すようなところがあると指摘され、「小さくなれ、小さくなれ」というアファメーション*を教えられて、自分自身に唱えるようにしました。

私が傲慢で依存的な心を変えていくと、主人も「依存するのはやめる」と言ってこれまでのようなLINEは送ってこなくなりました。主人は研究者としても論文をたくさん発表して、学会で認められていたのですが、私の方向性が定まると、目標とすべき未来の人が主人という姿で身近にいたことに改めて気づきました。主人が神のような存在に見えてきたのです。

娘たちはバレエを習っていますが、背筋と足をピンと伸ばしてポーズを取る次女の姿が、今年の世界ダウン症の日のポスターになりました。ダウン症は筋肉の緊張が弱い傾向にあるためバレエは難しいと思われますが、それを克服して、次女にはダウン症のバレリーナとして、自らメッセージを発信する側になっていって欲しいと思っています。

5年生になる長女は、厳しいバレエのレッスンを週4回受け、体操や学習塾も自分から行くと言って、積極的にチャレンジするようになりました。私は子どもの頃、「お手伝いしなさい」と言われると、「お母さんの仕事でしょ」と反発していましたが、「やらされたのではなく、必要なこととして与えてもらっていた」と自分の考えを修正すると、長女が進んで家事をしてくれるようになりました。私の帰宅時には洗濯物が取り込まれて畳んであり、お風呂もきれいに掃除し終わっていて、長女にはとても助けられています。

私自身が深層意識を変えることで、私の人生だけでなく、次女も含めて家族みんなが変わりました。今、私は家族が一つのまとまりを持ちつつ、お互いの成長を喜び合い、それぞれが未来に向かって着々と歩みを進めているのを実感しています。

今後はフラクタル心理学を看護教育に取り入れることが私の大きなテーマです。そのために教授になりたいとも思うようになりました。確固たる目的ができると、無駄なことは一つもなく、すべては未来に繋がっている、未来はつくり出せると確信できるようになりました。本当に自分が誇らしい気持ちにもなれて、この一年は新たに生まれ変わって、「本領発揮」の緒に就く一年となりました。

*アファメーション:肯定的な自分への宣言

2021年5月発行TAWプレスに掲載
文:(株) Mamu&Co. 藤田理香子