両親から与えられた恩恵に気づき、タクシー会社の業績を回復させ、本社である物流会社の経営強化にも取り組むようになって

厳しい経営状況にあったタクシー会社を立て直し、本業の物流会社の経営強化も行うようになったという上田恵さんからお聞きしたお話です。

物流会社 経営企画部 取締役
上田恵さん 島根県在住

うつ症状が良くなり講座を受け始めて

――学んだきっかけと最初の気づきをお聞かせください

9年前にうつ病になり、頻脈が続いて不眠症状に悩まされました。食欲が減退して、頬はこけ落ち、肋骨も見えるほどに痩せてしまい、仕事へは這うようにして行き、それ以外は家に引きこもる状況が2年ほど続きました。

その間、心療内科を受診したり、カウンセリングにも行きましたが全く良くならず、最終的にフラクタル心理学に辿り着き、3回ほどカウンセリングを受けると、家族や親族に良かれと思ってしていることが、受け入れられずに、感謝もされないことが怒りになってうつ病を引き起こしているとわかりました。「私が正しい」という思いをやめると楽になるといわれ、エゴや押し付け、執着の思いを手放していくと、次第に症状が改善していったのです。

初めて入門講座を受講したのは2年半前の2021年です。うつの症状は落ち着いていましたが、私の考え自体は大きく変わってはいませんでした。両親との関係は良好ではなく、うちから100メートルしか離れていない実家の敷居をまたぐことはありませんでしたし、兄や妹との関係も良くありませんでした。息子が1歳半の時に離婚して、それ以降はシングルマザーとして頑張ってきたのに、兄や妹のほうが優遇されているように感じて、一人空回りしているこの状況はどうしてなのか、疑問が膨らみました。

両親への大きな勘違いに気づく

――うまくいかない原因はわかりましたか?

私は20歳過ぎから実家の物流会社で働いてきました。父が創業して母が経理部門で父を支え、グループ全体で年間売上げ35億円まで大きくした会社です。私の担当は経理、総務、人事ですが、父から「値上げ交渉をしてこい」と言われたら、それを難なくこなすなど、どこの部署でもやっていける自信はありました。ただ、兄も同じ会社でしたので、兄の手前これ以上、私が出しゃばるのは良くない、領域を侵してはいけないという感覚がありました。

うつ病が少し改善してきた頃、何か変わらなくてはいけないという思いから、大型免許を取りに行ったことがありました。会社の主軸が運送業なので、ドライバーに何か言われた時に、「大型免許なら持っている」と言えたらいいと思ったのです。取得したことを両親に報告すると、「おお、取ったか」と父は喜びましたが、母は「大型免許でなく、他の資格を取りなさい」といった反応でガッカリしました。私は母にも褒めて欲しかったのだと思います。

兄妹の中で私一人、生後2ヵ月で祖父母の家に預けられ、親元に戻ったのが小学校3年生の時でしたので、家族のなかで疎外感がありました。ところが、初級講座で「現実はすべて自分がつくっている」「人はメリットしか選ばない」と学ぶと、私は外に出されたのではなく、自分のメリットのために祖父母の家に行ったのだと気づきました。祖父母の家には伯父さん、伯母さん、歳の離れた従姉のお姉さんもいて、幼い私は大人に囲まれて、何でもわがままを聞いてもらえたのです。

講座で兄弟順位について、中間子は自由を望んで中間子に生まれたと学びました。私は自由人なのにもかかわらず、それを「放っておかれた」という言葉に変換して、いつまでも恨みがましく思っていたのです。

両親にしてもらったことを書くワークでは、両親から愛されていたし、恵まれていたし、与えられていたのに、それがわからずに反発ばかりしていたこともわかりました。私の勘違いは特にひどかったのでしょう、「両親への謝罪をしなかったら、上田さんは次のステージには行けませんよ」と、講師から釘を刺されたほどでした。

――実際にご両親に謝ることはできましたか?

母に対しては、幼い時に外に出されたという恨みがましい思いから、母の言うことを全てネガティブに捉えるようになったのだとわかり、出来事を一つ一つ思い出しながら、4時間位かけて謝りました。

父に対しては、大きな声でわめくような話し方が「怖い」と感じて、携帯に連絡があっても着信拒否して避けるようにしてきました。父は事業をしてきたので実際にエネルギーが強いわけですが、父を怖いものにすると、どんなメリットがあるかと考えたら、父が与えてくれる恩恵に応えずに、怠けていたとしても、父を怖いものにしておけばそれが許されると気づいたのです。その時、私の中でオフのままだったスイッチが一気にオンに入ったのです。

心の中で父に謝罪して、仕事で返していこうと思いました。父の指示には「ノーと言わない」「言い訳しない」、とにかく父から言われたことは全てやろうと決めました。

任されたタクシー会社の業績が回復

――仕事への取り組み方も変化したのですね?

昨年7月、ちょうど中級講座が終わる頃に、父が地元のタクシー会社をM&Aで買収して、私が責任者として経営を任されることになりました。コロナ禍でタクシー客が途絶えたことで、前経営者は閉業する予定だったため、多くの従業員はすでに辞め、残っているのは70歳を過ぎた高齢のドライバーが5名、経理事務1名という状況でした。コロナの影響が残る中でマイナスからのスタートでしたが、「ネガティブなことを考えていたら絶対に物事はうまくいかない、自分が良いエネルギーを発していれば自ずとそれが返ってくる」と講座で学び、そのように努めると、次々に立て直しのアイディアが浮かびました。

私自身がタクシー業界を全く知らなかったことが功を奏し、業界の慣習に惑わされずに、給与や採用、運営システムの総入れ替えを試みることができました。タクシー業界では歩合給が普通でしたが、それではコロナ禍のような時にはドライバーに全く給料が入らず、辞めてしまったドライバーが多かったことから、人員確保のために、安定収入が得られる基本給制度を導入しました。

田舎のタクシー会社では、地図上でタクシーの現在地を管理していましたが、ナビシステムの配車に変えて、支払いもカードやデジタル決済を導入しました。

新たなシステムや制度を導入して、それでうまく回ったわけではありませんでした。ドライバーたちはクレジットカードと交通系のカードの区別もつかないほどでしたから、「イヤだ」「ムリだ」と反発の声が上がり困惑しました。フラクタル心理学で「相手は自分の鏡」「自分の投影」と学んだことを思い出し、私の中の不安感を払拭するには何をすればいいのかと考えました。

すでにシステムはできていたので、オペレーションをしっかりマスターして浸透させることだと思い、実際にドライバーの横に私が乗り込み、お客さまを乗せているていにして、カードやデジタル決済、ナビシステムの使い方など、不安なくスムーズにできるまで何度も練習しました。

本社の仕事も掛け持ちでしていたので、11月からのほぼ4ヵ月間は朝7時から夜中の2時まで働きましたが、この新しい挑戦にアドレナリンが出っぱなしになっていたのでしょう、全く苦とは感じませんでした。

自分の深層意識が周りに投影されると知っていたので、私自身が本気で取り組まなければ、周りも新しいことに取り組んでくれないと思い、当初は任せる人もいなかったこともあり、オペレーション、配車、管理業務、人事労務、車両管理と、全部一人でこなしました。逼迫した空気を感じ取ったのでしょう、ゴタゴタ文句を言っている場合じゃないと、ドライバーたちも黙って動いてくれるようになったのです。

その結果、他社が限られた決済システムしか採用していない中で、距離を乗る観光客の需要を優先的に獲得できて、売り上げも伸びていきました。コロナの影響で飲み屋街も閉めている店が多い中で、1月の半ばには夜間営業も再開しました。事業を受け継いだ11月当初は売り上げが90万円しかありませんでしたが、父の営業力にも助けられて、3月には月間売り上げが300万円にまで回復したのです。

中級講座の5ヵ年計画のワークで、「5年後には独立して自分の会社を持つ」と書いたのですが、規模からしても、この仕事はその良いステップになったと思います。

本社の経営のテコ入れにも着手して

――他にも取り組まれたことはありますか?

会社はもうすぐ創業50周年を迎えますが、もし今、父がいなくなったら、会社はどうなるのだろうと考えると、経営基盤が強いとは言えないと思いました。タクシー会社の立て直しをしたことで、私は何かを新しく構築していくことが好きだし、自分の領域に限らず、自分のできることならなんでもしたいと思うようになりました。そこで、私も含めて管理職がもっと経営に関して勉強していくためにコンサルタントをお願いして幹部研修を行い、それに伴って社内会議や社員の再教育を行うなど、本社の改革も進めていくことになりました。

講座で、「自分が変わると相手も変わり、出会う人も変わる」と聞きましたが、適切なコンサルタントの方と出会い、逆に去っていく幹部社員もいましたが、今いる社員の中から幹部社員を育てていこうと思えるようにもなりました。私が変われば社員も変わり、本当に底力のある企業にしていけるという思いも強まったのです。

息子も入門講座を受講して

――ご家族にも変化がありましたか?

以前の私は、自分の人生を生きていなかったので、周りからどう見られるかばかりが気になりました。息子に対しても同じで、とにかくこうであってほしいと理想ばかりを押し付けていたのです。講座で学び、私自身が目の前のことに懸命に取り組み始めると、人の評価が気にならなくなり、東京の大学に通う息子も、自分の進む道を模索し始めました。

息子が専門分野を選択し直したいと言ってきたときに、息子の考えを尊重するけれども、その代わりフラクタル心理学の入門講座を受けて欲しいと息子に告げました。息子は承諾して講座を受講すると「すごくおもしろくて、楽しかった」とメールを送ってきました。それからと言うもの、メールでは「わかった」と返事だけだった息子が、素直に話を聞いてくれるようになり、「無理しないでね」「お陰で助かった。ありがとう」とねぎらいと感謝の言葉を添えてくれるようになったのです。

最近、息子から「お母さんがロケットになった」と評されましたが、うつ病の頃には痩せ細って足取りもフラフラでしたので、今のように一直線に上昇しようとする姿を見て、驚きからそう言ったのでしょう。的を射たユニークな表現に思わず笑ってしまいました。

フラクタル心理学で思い込みを変えると、両親が与えてくれた素晴らしい恩恵に気づき、得意なこと、やりたいことがわかってきました。経営に関して何か迷うことがあったら、フラクタル心理学に戻って考えれば適切な答えが見つかることも知りました。これから社員も巻き込んで、経営強化に努め、底力のある会社にしていくために尽力していきたいと思っています。

上田恵さんのタクシー会社のホームページ

物流会社のホームページ

2023年10月発行TAWプレスに掲載
文:(株) Mamu&Co. 藤田理香子