まずトップは、父親への思いが変わると、自分の能力を再発見して、仕事での新たな展開に繋がったという坂本喜秀さんからお聞きしたお話です。
会社経営 企業コーチ
坂本喜秀さん 東京都在住
引き継いだ父の会社を閉めることに
――学んだきっかけと最初の気づきをお聞かせください
経営者団体の支部作りに奮闘する中で、周りと折り合いが悪くなり、一昨年の2021年1月に身体を壊して急性肝炎で入院しました。病院のベッドでフラクタル心理学開発者一色真宇先生の『そろそろこの世界が仮想現実だと知るときが来た』を読んだことがきっかけで、退院後の5月から入門を受講し始めました。
もともと私は父との間に問題を抱えていました。父は出版とイベントを行う会社のワンマン経営者で、感情の起伏が激しく、家庭でも気に入らないことがあると感情を爆発させ、厳しい父の言葉は鋭利な刃物のように私の心に刺さりました。父とは間逆な人間になろうと、大学卒業後は海外でデザインを学び、帰国後にデザイン事務所を始めました。
私は父とは関わらないように生きてきたのですが、17年前、父の会社が収益の柱だった企業間のイベント事業を失ったときに、父から請われて、自分の会社の事業を休止し、立て直しのために多額の借金と共に父の会社を引き継いだのです。結局うまくいかず、7年前に父の会社は清算し、その後は人に喜ばれる仕事がしたいと、コーチングを始めました。その時、すでに私は56歳、大切な時間を10年間も無駄にさせられたと、父に対して恨みのような思いが残ったのです。
子供の頃の父への反発
講座では、子供の頃の思い出として、忙しい父が休日は一緒に遊んでくれたことを話しました。といっても、凧揚げなら誰よりも高く上げられないとダメで、父が一番高く上げてから、私に凧糸を手渡し、うまくあがらずに落ちてくるとすごく怒られました。キャッチボールではスポ根マンガ並みのしごきになるので、一緒に遊んでくれなくていいと思ったほどでした。
講師からは「あなたは長男ですよね。本当はあなたが一番になりたいのです。お父さんはそれを見せてくれていたんです」と教えられました。確かに小さい業界ですが、父の会社は業界トップでしたし、父は何につけても一番になる努力をしていた人でした。ただ、私にしてみれば、そのがむしゃらさやエネルギーの強さなどすべてが嫌だったのです。
中学時代、私も学年でトップクラスでした。高校で進学校に進むと、いきなり落ちこぼれになり、「いいよ、一番にならなくたって。好きなことをやらせてよ」と、そこで競争をやめました。講師から「自分でコントロールできないと気がすまないのは傲慢です。お父さんみたいに上から目線で人に偉そうに命令してきたのではないですか」と諭されました。
すぐには納得できませんでしたが、とにかく、これまで反発してきたことを謝る「謝罪ワーク」をするように言われて、朝晩、親に対して心の中で謝りました。
親が𠮟りつけたわけと繰り返される自分のパターン
――その後、お父様との関係でわかったことはありますか?
7月の終わりに一色先生の講座での公開カウンセリングで父の話をすると、「お父さんがあなたを叱りつけたり、厳しかったのは、あなたが全然言うことを聞かない子供だったからです」と言われました。
私は何かを一生懸命やり出すと独善的になり、自分のやり方が全て正しいと思い込んで、人の言うことを全く聞かずに自分の考えを押し付けてきました。それで、周りの協力を得られずに、自分で全部やろうとして心身ボロボロになって続けられなくなる。あるいは、辛いから周りに喧嘩をふっかけて辞めるきっかけを作る、というパターンでした。子供の頃も、父親から引き継いだ会社の時も、そして、経営者団体の支部を作る過程でも、自分の型として同じことが繰り返されてきたことに気づきました。一色先生からいただいた修正文を繰り返し聞くと、その型をつくった思いは溶けるように変わっていきました。
「あなたは周りが見えずに、思い込みでパッと行動して失敗していたね。守ろうとして止めていた両親を悪者にしたんだよ。判断するための情報を得るために周りの人の話を聞きなさい。そしたら大人になって一人で突っ走って会社を失ったりしないよ。
あなたがちゃんと話を聞いていたら、お父さんはあなたをどなったりしなかった。お父さんだって傷ついていたんだよ。こんなに時間やお金をかけて教えているのに、なんでこの子はちゃんとやらないんだって。お父さんもがっかりして腹も立ったんだよ。思いと行動の間にもう少し判断をちゃんと入れていたら、もっと良い人生になったよね。大人の自分はそれを教えに来たんだよ。
あなたは一番になりたいんだね。お父さんはいつも一番にしてくれた。これからでも遅くないよ。お父さんに恩返ししたいよね。お父さんはいつもあなたが一番になることを願ってくれていた。大丈夫、まだ遅くないから頑張ろうね」(要約)
――ほかにも修正したことはありますか?
父の会社にいた時に、交通事故で首の骨を折ったことがありました。父も難病になり身体が思うように動かせず、3年前に介護施設に入りました。母も脊柱管狭窄症と股関節の痛みで夜も眠れない状態でした。一色先生にこの話をすると、「何か人から恨まれていることがあるのかもしれませんね」と言われました。
思い出したのは、父の会社に入ってまずおこなったリストラで、社員30名余りを解雇したことでした。事故で入院した時、病院のベッドの上で「首の骨を折るなんて、社員をクビにしてきた天罰だ」と思ったのです。
講座での公開の誘導瞑想で、甲冑を着て武器を手に持った社員に囲まれているイメージが出てきました。当時、社員全員を敵に回したように感じて、会社を立て直そうとしているのに、社員のやる気を感じず、社員のことを「会社をダメにした人たち」という目で見ていました。すると一色先生から、「その社員たちは会社の良い時期を一生懸命作ってくれた人ですし、彼らもプライドを持って仕事をしていたのに、そういう風に思われたのは、社員にとっては本当に辛かったと思いますよ」と言われてハッとしました。
講座での公開の誘導瞑想で、甲冑を着て武器を手に持った社員に囲まれているイメージが出てきました。当時、社員全員を敵に回したように感じて、会社を立て直そうとしているのに、社員のやる気を感じず、社員のことを「会社をダメにした人たち」という目で見ていました。すると一色先生から、「その社員たちは会社の良い時期を一生懸命作ってくれた人ですし、彼らもプライドを持って仕事をしていたのに、そういう風に思われたのは、社員にとっては本当に辛かったと思いますよ」と言われてハッとしました。
私には全くその視点が欠けていて、「人の気持ちがわからない」と言われたことに通じていました。社員の思いに気づくと涙があふれ、その場で号泣してしまいました。私がリストラを進めていた頃、雇用確保のために、仕事を増やそうと奮闘していた父は、本気で社員のことを思っていたのだと気づかされたのです。
続く中級では、「親を否定していると、自分が本来持っている能力が使えない」と学び、親がどのような人かを書き出すワークをしました。客観的に振り返ると、実は父からものすごく可愛がられたことや、やりたいことは全てやらせてもらい、お金も出してくれたことを思い出しました。それを評価することもなく、ひたすら父を拒絶してきた自分が恥ずかしくなりました。
コーチングを学び直して企業コーチングを始める
――ご自身やご家族に変化はありましたか?
その後に始めたコーチングの仕事でも、自分本位の考えでクライアントさんと接するからうまくいかないのだとわかりました。基本を学ぶことが苦手で、すぐ自分流にアレンジしてしまうことにも気づき、一からコーチングを学び直すことにしました。講師資格を取得する講座にも進み、教える立場からも学びました。
中級の5ヵ年計画のワークで、「企業コーチングをする」と書くと、企業コーチングの依頼を受けて、昨年2月から1日6名、各50分にわたるコーチングを行うようになりました。コーチングは相手の話を集中して聞き、気持ちに寄り添わなければならず、私の欠けているところを修正できる仕事でした。受け持った人たちが4月に全員昇進して、とても感謝されたことも喜びになり、自分にとってコーチングは天職だと思えました。
父と同じ笑顔の自分に気づき父の会社を残すことに
介護施設で寝たきりの父は不機嫌な時が多かったのですが、私が会いに行くと、「嬉しい、嬉しい」と片言で言ってくれるようになりました。母がベッド脇で父と一緒に写真を撮ってくれ、その写真を見た時に、「父は私だ」という気づきが閃光のように私の中に入ってきて、思わず息を飲みました。そこにはまったく同じ笑顔の父と私がいたのです。私は「笑顔がいいですね」「あなたの笑顔に救われました」と、笑顔を褒められ、笑顔で得をしてきましたが、まさにこの笑顔こそが、父からもらった大きな財産だったのです。これまでの父への反感は根底からひっくり返り、残ったのは愛おしい思いだけでした。
その大きな気づきの後、廃業する予定だった父の会社をそのまま残して、定款を変え、父の会社Inter Pressの頭文字のIPを取って、Inter Photon(Photonは光子、素粒子のこと)という新しい社名で再出発することにしました。自分の土台ができたようで力が湧いてきました。
私の意識が変わると、食事以外は部屋から出ず、不満ばかり訴えていた父がアクティビティに参加するようになり、職員に「ありがとう」と手を合わせるようになったといいます。母も痛みがほとんどなくなり、運動施設に通って積極的に運動するようになり驚かされました。
仕事での進展、妻との関係もより良好に、息子もアジアで一番に
――今後の展望などお聞かせください
昨年から、ビジネスコーチの講座やイベントでMCをしたり、学生時代に志していた演劇の世界に関わるようになると、実は私は人前で話したり自分を表現することが好きで、得意だと気づきました。人前で情熱的に講演をする父の姿に憧れていたのに、父への反発心から、その思いを封印してきたのでした。
妻との関係は悪くはありませんでしたが、以前、講師から言われた「奥さんはご両親と同じように、あなたのことをずっと守ってきてくれたのですよ」と言われたことがやっと納得でき、妻にも謝罪と感謝の気持ちが湧いてきて、その後、夫婦仲は格段に良くなりました。
30歳になる一人息子がいますが、世界規模の外資系銀行で一昨年後半にアジアで営業トップとなり、2回表彰されて、昨年春にはアメリカ本社でも表彰されました。講師から、息子の姿は自分の未来の姿と聞き、私も新たに挑戦していこうという意欲が高まりました。
また、美容・健康コースの誘導瞑想で、80歳の自分に会いに行くと、イメージで見た80歳の自分はとてもカッコ良くて、「80歳が人生のピーク」だと思えました。現在63歳ですが、会社の理念を「人の本来の個性と能力を引き出し、周りを照らす光の存在を増やして行く」としたことで、以前は全く考えていなかったイベントの開催も行うようになりました。
5年前に仕事で行ったドバイで、瞑想空間のような砂漠に魅せられたのですが、クリエイター集団を作ってパフォーミングアートの舞台を作りたいと動き始めました。2年後にドバイの砂漠でイベント開催することを目標に、コーチングの仕事と共に、多くの人を輝かすイベントや舞台、映画を作っていきたいと思っています。
2024年1月発行TAWプレスに掲載
文:(株) Mamu&Co. 藤田理香子