フラクタル心理学受講後すぐに出会いがあり再婚!ミセスコンテストで日本大会にも出場して!

父親への思いが変わると再婚でき、受け身をやめて目標に向かって努力すると、ミセスコンテストでファイナリストに選ばれたという轟めぐ美さんからお聞きしたお話です。

会社員・フラクタル心理カウンセラー
 轟 めぐ美さん
                 長野県在住

娘の独立で再婚を決意/親への勘違いを解く

――学んだきっかけと最初の気づきをお聞かせください

若い頃に結婚して8ヵ月で離婚しました。娘が生まれてまだ1ヵ月でした。シングルマザーで娘を育てましたが、娘が高校卒業後に進学に伴って家を出ることになった時に、「ママ、一人になっちゃうけどいいの?」と娘から心配されて、先のことを考えていなかったことに気づきました。実家も近いので、実家に入って両親の面倒を見ようとも思いましたが、人生それで終わりでいいのかと葛藤がありました。再婚を考えるようになり、結婚関連のセミナーにも行きますが、大きな変化はなく、その頃、フラクタル心理学の話を聞いて興味を持ち受講し始めました。

離婚の原因は元夫のDVでした。私は悪くない、悪いのは元夫と思っていましたが、初級講座で講師から「私は悪くないという思いをひっくり返さないと、現象は変わりません」と言われました。最初はありえないと思いましたが、「相手は自分の深層意識」と学んで、自分にも何かあったのかもしれないという気持ちになってきました。講師からは、まず両親に謝るように言われました。

講座で小さい頃を思い出す誘導瞑想のワークをすると、私が2歳半で弟が生まれた時のことを思い出しました。田舎なので、男の子が生まれると親戚を呼んで盛大なお祝いでした。それまで私が1番だったのに、弟に全部持っていかれたようでものすごく悔しい思いをしたのです。大きくなってからも、弟は何もしないで遊んでいるだけなのに、私はお手伝いや用事をさせられて、母は私のことはかわいくないんだ、弟がかわいいんだと妬ましく思ったことを思い出したのです。

両親との関係は悪くなかったので、このような思いが自分の深層意識にあるとは思ってもみないことでした。私が結婚に失敗したのは、両親への恨みから、両親を悲しませたかったからとわかりました。心の中で両親に謝るうちに、躾であるにもかかわらず、勘違いして反発していたことや、十分にかわいがられていたことを思い出し、両親に対して申しわけなく思うと共に、感謝の思いが湧いてきました。

心の中で元夫に謝ると現在の夫と出会う

――出会いに向けて進展はありましたか?

元夫にも心の中で謝り始めると、元夫は深層意識の投影として私の姿を見せてくれていたのであって、怒りを爆発させるDV元夫は私自身で、悪いのは私だったと気づきました。

これまで元夫がたびたび夢に出てきて、近寄ってくると、怖くてこっちに来ないでと思っていましたが、ある日、元夫が夢に出てきたのですが、嫌な感じが全くしませんでした。それからすぐに、婚活アプリで今の夫に出会いました。実際に会ったのは夫が初めてでした。アプリを始めて1ヵ月も経たない、初級講座が終わって数週間後のことでした。

受け身の自分と父への思いの変化

――ほかにも変化したことはありますか?

初級の誘導瞑想のワークで、私の深層意識に成長したくないチャイルドがいると気づきました。自分からエネルギーを出すことなく、世話してほしい、遊んでほしい、かまってほしいと思い、ぬくぬくした中にいたくて、新しい世界に出るのを嫌がるチャイルドでした。

ずっと会社勤めをしてきましたが、私は決められた時間で仕事をして、その分のお給料をもらえればいいというタイプで、仕事に意欲的ではありませんでした。

講師からは、「長女の気質として目立ちたい、注目されたい思いがあるはずなのに、自分で何かしようとせず、受け身のままだと、得られるものが少ないですよ」と言われました。

40歳を過ぎてもお給料が少なくて、生活もギリギリでした。すでに夫と出会っていましたが、上級講座で講師から「お給料が少ないのはお父さんを見下しているからかもしれません。結婚前にお父さんのことを見直したほうがいいですね」と言われました。 

そこで、ひっくり返しのワークで、父のことを思い返しました。父は家では何にもせず、休日も遊んでもらえないと思っていましたが、実は父は営業成績がいつもトップで、休日も休みなしで働いていたことを思い出しました。父はとても働き者で2回家を建て直し、母も働き者で、私が幼いころから内職をして、私が中学に入るとなるとパートに出るようになり、その後正社員となって、母だけで一千万円くらいの貯金がありました。私が弟の面倒を見て、ご飯を作っている間、母は働きに出ていたのです。

父は家ではあまり話さなかったので、交友関係も薄いと思っていましたが、地元の議員さんなど偉い方とも知り合いで、信頼されていたとわかり、父のことを見直して尊敬できるようになりました。

すると、私が勤めている会社の業績が上がり、ボーナスが増額されたのです。従業員も60歳以上の再雇用の人が半数を占めていたのですが、若い人がたくさん入社するようになり、さらに業績も上がって驚きました。

ミセスコンテストに挑戦/猫背を直して7キロ減量する

――コンテストに参加された経緯をお聞かせください

夫とは出会いから1年もたたずに、令和元年に結婚しました。夫は13歳上でコンサルティング会社を経営していますが、プロを目指して野球推薦で大学に行った経験もあり、前向きで活動的な人でした。それに比べて、私には誇れるものが何もないと思っていたところ、SNSでミセスコンテストが地元で開催されることを知りました。自信を持てるようになりたいと思い、ちょうど46歳でしたので、2021年の長野大会の46歳以上のクラシック部門に思い切ってエントリーしました。 

これまで、大きなケガをしたり、病気になったりと悪目立ちして注目されようとしていたのですが、講座で、私は長女でお姫様気質が強いとわかり、目立ちたいし、注目されたいなら、それ相応の努力をしなければいけないと学び、自分からエネルギーを出そうと決意しました。

大会出場に向けてレッスンを受け始めると、指導者から、猫背を直すために壁立ちをすることと、体重を落とすように言われました。姿勢が悪いのは直らない、体重は落ちないと思っているのはチャイルドで、「絶対に変われる」と思ってトライすると、猫背が直り、体重も7キロ減量できたのです。

21年のミセスコンテスト長野大会で、私はスポンサー特別賞をいただくことができました。けれども、次の日本大会には行けませんでした。帰り道で「もう一度挑戦したい」と夫に告げると、「気が済むまでやったほうがいい」と再出場を勧めてくれました。

日本大会グランドファイナルに出場

1回目の大会では何もわからずに参加しましたが、2回目では、エントリーから大会までの数ヵ月間でどれだけリーダーシップ性、社会貢献性、協調性、発信力を発揮できたかを、大会主催者から評価されるとわかったので、それを意識しながら適応していきました。

人と話すのが苦手でしたが、待っている自分はやめようと思い、仲間にも自分から話しかけるようにしました。私は長女なのだからリーダーシップを発揮できると思い、みんなをまとめていこうという気持ちで仲間と接し、2度目の参加なので、協調性を持ちながら、知っていることはアドバイスするように努めました。

コンテストのスピーチでは、カウンセラー養成講座で今まで再婚できずに苦労したことを話した時に、「自分が悩み苦しみ克服してきた中にこそ人生の宝があります」 と講師に教わったことを思い出し、その言葉から発想を得てスピーチを考えました。

「私のお腹には生まれた時に受けた手術の痕があり、それが恥ずかしくてずっと内気なままでした。でもミセスコンテストの学びの中で自分と向き合い、この傷は命の証と感謝できました。コンプレックスは人生を豊かにする素晴らしい宝物。自分を信じ全てを愛することの大切さお伝えしてまいります」という30秒の短いスピーチでしたが、「勇気をもらえた」「感動した」「心に刺さり、涙がでた」という感想をいただきました。このスピーチが評価されて、22年の長野大会では上位入賞を果たし、日本大会ファイナリストとなることができました。夢であった日本大会に挑戦できたことで、私はすごく成長できたと感じました。

大会運営で責任ある立場を学ぶ

――翌年には大会の運営にも携われたのですね?

私が出場した大会では出場者が大会を引き継いで主催者側となり、大会運営を行うシステムになっていました。そこで社会貢献の一環として、翌23年の大会運営にボランティアとして携わることにしました。自分たちの持ち出しでスタートして、スポンサー集めに奔走しました。スポンサーを集められずに、「開催できませんでした」とは言えない状況でしたので責任を感じました。

コンテスト出場のファイナリストには、コンテストの軸となるスピーチの作成指導、メンタル面でのサポートを行いました。フラクタル心理学での学びを活かして、私もファイ ナリストと共に成長しようと取り組みました。相手は自分の潜在意識と思い、なんとか成長させたいと、過去の自分に言い聞かせるように、母親の気持ちで接すると、良く理解してもらえました。

私が勤める会社は週休1日で、月曜日から土曜日まで働き、日曜日は大会のことをすると、自分の休みはなくなりました。会社から帰ってきてご飯を作って食べて、その後ズームで会議をしてから資料作りをする毎日で、就寝が1時や2時になる生活が数ヵ月続きました。以前、パンチ法で「エネルギーを出せ」と言いながら、夜に外を走りましたが、ラクしていたいチャイルドも変化したのでしょう。休みがなくても私はこんなに動けるんだということがわかりました。

主人は全面的にサポートしてくれ、大会のスポンサーにもなってくれました。何とかスポンサーも集まり、チケットも完売して120席が満席になり、23年長野大会も無事に開催することができたのです。大変でしたがやってよかったと思いますし、自分の能力がとても高まったと感じました。

この経験を生かして、今後、「理想の結婚を手に入れる! 幸せの自分改革」の講座や、講師資格を取って美容・健康コースも開催したいと思うようになりました。

また、大阪でミセスコンテストの大会の運営をしている方から誘われて、新しい大会の立ち上げに参加することになっていましたが、プレイングマネージャーのような形でファイナリストとしても出場してみないかと言われました。この大会で入賞するとドバイで開催される世界大会の出場権が得られるのです。日本大会の舞台に立てて満足でしたが、今度は世界に行ってみたいという気持ちになりました。今年は新たな挑戦として世界を目指したいと思っています。

轟めぐ美さんのインスタグラム

2024年4月発行TAWプレスに掲載
文:(株) Mamu&Co. 藤田理香子