愛の勘違いを正してパニック障害を克服すると、団体の役員に選ばれ、人前で話すことにも自信が持てるようになったという佐藤礼子からお聞きしたお話です。
自営業・フラクタル心理カウンセラー
佐藤礼子さん
栃木県在住
パニック障害の発症と義理の両親の介護
――学んだきっかけと最初の気づきをお聞かせください
夫と結婚して義理の両親と同居し、家業を手伝いながら4人の男の子にも恵まれました。42歳の時にパニック障害と診断されてから、動悸や体調不良で救急車を呼ぶこともあり、一時期は一人で外に出ることもできませんでした。カウンセリングやヒーリングを受けて一時的に良くなっても、すぐに元に戻ってしまいました。
2017年にフラクタル心理学の入門講座を受講して、その後、一色真宇先生のカウンセリングを受けました。この頃、介護していた義父の状態が悪くなったのに続いて、認知症を患っていた義母の症状も悪くなり、義母を施設に入れる入れないで、近くに嫁いでいた義妹ともめました。義妹から、自分もたまに来るので、何とか自分たちで介護しようと言われましたが、たまにならいいけれど、私は朝から晩まで毎日のことなのよと憤りを感じました。私は頑なになってしまい、義妹からのアドバイスは受け入れられず、義妹からメールが来ると足が震えるなど、パニック障害の症状が出るようになってしまいました。
3年前に義父が亡くなり、パニック障害の症状も治まってきたので、義妹との関係も修復させたいと思い、一昨年、講座の受講を再開しました。初級講座で誘導瞑想のワークをすると、居間で3歳下の弟がお絵描き、私は折り紙をしているシーンがでてきました。母に見てもらいたくて、私はわざと折り紙の折り方がわからない振りをしました。母は弟のことは上手に描けていると褒めましたが、私のことは褒めてくれないので、「弟のほうがかわいいんだ。私なんてどうでもいいんだ。お母さんなんて大嫌い」と思って折り紙をぐちゃぐちゃにしたのです。講師からは「あなたはかまって欲しくて、自分に合わせて欲しい思いが強いですね」と言われました。
初級の頃学童保育の指導員もしていたのですが、元気に遊んでいた生徒が急に目の前で倒れて、救急車を呼ぼうとすると、何もなかったかのように立ち上がったということがありました。ふざけて死んだふりをしていたのだと、後で親御さんから聞かされましたが、その生徒はかまってほしくてやっていたのでした。その日家に帰ると、食事中に飼い犬が突然、食べ物を喉に詰まらせて痙攣を起こしました。
1日のうちに同じようなことが起きたので、講座で生徒の話をすると、講師から「それはあなたですよ」と諭されたのです。フラクタル心理学では「360度自分」と考えるので、私のかまって欲しい思いが投影されて、外側にその現象を見たのだといいます。
修正文を書き起こして聞き始め、言われたことに納得して
――その後、パニック障害はどうなりましたか?
中級講座で講師から、以前受けた一色先生のカウンセリングの内容を理解できていないようだから、修正文を書き起こしてみなさいと言われ、書き起こしてからそれを録音して聞き始めました。
「あなたは寂しくて家に閉じ込められているような恐怖を感じたんだね。でもね、一人遊びをしたり、友だちと遊んだり、大人たちを手伝うこともできるよね。 そして、ちゃんとやるべきことをやりなさい。やるべきことをやっていれば寂しくないよ。あなたはやるべきことをやったよね。夫の仕事を助けて、子供を4人も育てたね。やるべきことをやっていれば自分は役に立つ、価値のある人間だってわかるよね。そう思える時は誇らしくて心が満たされるからパニックにならないんだよ。 これからも今までやらなかったことに挑戦したり、重い責任を果たして、自分が誇らしいと思えるようになろうね」
一つひとつの言葉が身に染みてきました。実家では天真爛漫に育ち、思うがままにしてきたのに、婚家の両親はとても厳しくて、心の中で恨みがましく思っていたことについても、一色先生から「厳しさが愛です」「義理の両親が厳しいのなら、パニック障害もこれから良くなりますよ」と言われていました。講座で学ぶうちに、かまわれることが愛ではなく、「厳しさが愛」「相手を成長させることが愛」と納得できてくると、パニック障害の症状も次第に出なくなっていったのです。
やるべきことから逃げていたとわかって
――妹さんとの関係はどうなりましたか?
母から弟ばかりかわいがられると感じていたことも、そうではなく、私もかわいがられているとわかっていたのに、もっと私に愛情を向けて欲しくて、病気になったり、できないと言ったり、自分を弱くして周りをコントロールしようとしていたのだと理解しました。
親の介護のことも、講師から「親の介護は長男の嫁の務めで、義妹が協力してくれているのに、やりたくないというのは怠慢で、やるべきことから逃げています」と言われました。私は妹を悪者にして、病気になって介護から逃げていたのだとわかりました。
そこで、「妹のことをいろいろ悪く言っていましたが、本当は私がやるべきでした」と紙に書いて読み、心の中で、「本当にごめんなさい」と義妹に謝りました。
昨年、義母が亡くなると、義妹から「一緒にいるお姉さんが一番大変だったと思います。本当にどうもありがとう」と言われました。私が変わったことで、義妹の言動が変わったのだと思い、驚きました。
団体の役員を引き受けて司会を勤める
――ほかにも、自分を変えたところはありますか?
受講仲間から「あなたは『できない。自信がない』とよく言うけれど、あなたができないなんてみんな思っていないわよ、どうしてそんなことばかり言うの」と言われて、できないと思った時は「私はできる。私はできる」とアファメーション*をしました。
これまで家業と関係する団体の役員を頼まれても、「私にはできません」と断ってきましたが、思い切って引き受けました。講座でも「『できるとしたら』と思ってやりなさい」と言われたので、努力して頑張ろうと思いました。人前で話すのは苦手でしたが、アナウンサーの先生について、司会台本の作り方や声の出し方、姿勢なども学びました。その甲斐あって、総会での司会も無事に務めることができ、4年の役員任期もやり遂げて、自分に自信がつきました。
何かから逃げたい時にパニック障害の症状が出るとわかり、おかしいなと思った時には「大丈夫、大丈夫」とチャイルド*を落ち着かせて、「頑張るんだよ」と励ますようにすると、体調をコントロールできるようになりました。現在64歳ですが、この2年ほどはパニック障害の薬も飲まず、元気に過ごしています。
――現在と今後の活動についてお聞かせください
思えば息子たちが幼い頃、大きな病気をしたりして、そのことでも大変な思いをしてきました。息子たちにも私のかまって欲しい思いが投影されていたのでしょう。今では皆元気に社会人になりました。学童保育の指導員も続けていますが、今日も生徒が人の体の絵を書いて「僕はお医者さんになりたいけど、どうせなれないよね」と言うので、「今から頑張ればなれるよ」と返すと、「じゃあ頑張る」と目を輝かせました。生徒たちのプラスになることに少しでも関われたら嬉しくて、学童保育の仕事も楽しくなってきました。
カウンセラー養成講座、現象学概論、現象学図解まで私が学び進めることができたのも、講師からの応援と励まし合える仲間がいたからこそです。家業でも仕事柄、家庭内の相談を受けることが多いのですが、家業と学童保育にフラクタル心理学を活かしながら、いずれはフラクタル心理カウンセラーとして活動したいと思っています。
*アファメーション:自分への肯定的な宣言
*チャイルド(インナーチャイルド):深層意識のなかの成長しきれていない未熟な一部
2024年4月発行TAWプレスに掲載
文:(株) Mamu&Co. 藤田理香子