病気も思考の現実化と捉えて、自ら治すと決めると、股関節症が良くなって琉球舞踊を踊れるようになったという平良昌代さんからお聞きしたお話です。
琉球舞踊家
平良昌代さん
沖縄県在住
変形性の股関節症になり改めて講座で学び始める
――学んだきっかけと最初の気づきをお聞かせください
沖縄の伝統芸能、琉球舞踊の演者として弟子の指導にも携わってきました。2000年の九州・沖縄サミットでは、歓迎レセプションで琉球舞踊を披露する機会をいただきました。また、国内だけでなく、10数ヵ国での海外公演も行ってきました。仕事では充実していましたが、人間関係で疲れ気味なところがあり、心理学に興味があったことから、2010年に沖縄で初めて開かれた マスターコースの入門講座を受講し、その後、初級講座や家族関係コースを受講しました。
それから7年後の2017年、体調不良で総合病院を受診すると、ストレスが原因の甲状腺機能亢進症と診断されてショックを受けました。治療で薬を服用すると症状も改善していきましたが、フラクタル心理学で「現実は自分が作っている」と学んでいたので、改めて学び直したいと思いました。沖縄では講座開催がなく、講師からすすめられて、2017年晩秋から週末ごとに上京して、初級の再受講から始めました。
2018年になると今度は股関節に痛みが生じて、痛み止めを服用しながら踊らなければならない状況になりました。整形外科を受診すると、変形性の股関節症と診断され、人工の股関節置換術をするしかないと言われて、目の前が真っ暗になったのです。元々、先天性の股関節脱臼で生まれて、幼児期に1年ほど治療のための装具をつけていたと聞いていました。
50年続けてきた琉球舞踊ですが、辞めるしかないかと悩みましたが、稽古に来ている弟子もいましたし、地元新聞社の伝統芸能選考会舞踊部門の選考委員もしていたので、すぐに辞めるわけにもいきませんでした。手術以外に治療の可能性を探るためにYouTubeなどネットを調べ、食生活を見直して、ウォーキングも始めました。
中級、 上級と現象学まで受講した後、2021年に美容・健康コースを受講した時に、これまで学んできた「思考の現実化」ということがスッと腑に落ちた瞬間がありました。「自分の思考が軟骨をすり減らす変形性の股関節症を作ったのなら、自分で治すこともできるのではないか? 」「絶対に治そう」とスイッチが入ったのです。
ウォーキング中に「軟骨再生」をイメージしながら繰り返し唱え、稽古場の掃除や家事など体を動かす時にも「軟骨再生」と繰り返し唱えました。1年ほどして、看護師をしている後輩から、歩き方が良くなったから、股関節も良くなってるのではないかと言われましたが、実感はありませんでした。
ヨーロッパの有名ブランドの鑑賞会で舞台を務めて
――その後、何か変化は感じられましたか?
ふと手にしたパンフレットで、沖縄本島北部の芭蕉布を使った琉球舞踊の衣装を目にしました。芭蕉布は「トンボの羽」に例えられるほど薄く張りのある織物で、芭蕉という植物から糸を紡ぎ、全て手作りで作られるため幻の織物と呼ばれています。
実際にこの衣装を着て踊ることは叶わないかもしれないけれど、せめてイメージの中だけでもと、寝る前にはいつも芭蕉布の衣装を着て踊る姿を想像しました。
すると、2023年7月に喜如嘉(きじょか)でヨーロッパの高級ブランドの関係者を招いた琉球舞踊の鑑賞会が開催されるので、その舞台で踊ってほしいという依頼が舞い込んだのです。期待に応えるために、身体のメンテナンスに励み、稽古に集中しました。
いざ芭蕉布の衣装を羽織ってみると、その軽やかさと涼やかさは、私が想像していた感覚と同じでした。沖縄の風土が生んだ貴重な織物の衣装を着て踊るということを、私は思考して現実化させたのだと実感しました。
この鑑賞会は2024年も開催されましたが、股関節の痛みで足に重心をかけられず、まともに踊ることができなかった私が、制限はあるものの、再び踊れるようになったことが自分でも信じられませんでした。
前夫や両親への謝罪ワーク
――ほかにも講座で学んで実践されたことはありますか?
実は私は2度離婚しています。離婚した時は、相手を責めていましたが、フラクタル心理学を学び進めるうちに、相手は自分の深層意識(潜在意識)の投影だとわかり、前夫に対して心の中で謝罪ワーク*をしました。「本当の愛と健康が手に入る潜在意識レッスン」のセミナーを受講した時に、依存が大きい人はパートナーと不仲になりやすいと教えられて、その通りだと納得しました。
10代の頃、私は父が嫌いでした。父は支配的で礼儀作法にも厳しく、当時の私は「絶対に父のような人とは結婚しない」と決めていたほどです。県外に嫁ぎますが、離婚して実家に戻ると、父は何も言わずに私を受け入れてくれました。その瞬間、初めて父の深い愛情を感じたのです。その頃のことを思い出して、両親に対しても謝罪ワークをして心から謝りました。
東京の専門医を受診して骨棘(こっきょく)の再生を確認する
舞台も一通り終わり、人工股関節の置換手術をする必要があるとしたら、時期はいつ頃がいいのか、YouTubeで見ていた専門医に聞いてみたいと思い、2024年9月に初診で東京の股関節の専門医を受診しました。
レントゲン撮影が終わると、医師は、6年前の発症時の画像と今回の画像を比較して、笑顔で説明を始めました。医師によると、この6年間で股関節を守るために骨が変形して骨棘が形成され、浅く不安定だった股関節の収まりが良くなり、安定型の状態になったため、日常生活には問題はなく、手術する必要はないとのことでした。股関節の柔軟性を良くするためのトレーニングも教えていただき、自宅で実践することになりました。
3年前に決意して、「軟骨再生」と心の中で言い続けたことが現実になったと思い、嬉しくて涙が溢れました。自分の股関節にも「頑張ってくれてありがとう」と感謝の言葉を掛けました。
変形性の股関節の原因となった思いとは
――変形性の股関節についてわかったことはありますか?
この後、なぜ私は変形性の股関節になって、痛みに耐えなければならなかったのかを知りたくて、個人カウンセリングで体内瞑想を受けました。すると、兄に勝ちたい、母の愛を独占したいという思いが深層意識にあることがわかりました。
さらに見ていくと、負けず嫌いで勝ちたいのに、実力がなくて勝てない自分を責めていて、責める思いと、勝ちたい思いの塊が股関節にあると知って驚きました。
過去のテキストを見返すと、初級の胎内誘導瞑想の時にも、やはり兄に勝ちたいという思いが出ていました。私は兄と妹と弟の4人兄弟の長女ですが、沖縄では長男は別格に扱われて大事にされるので、兄に勝ちたいという思いは本当に根深かったのだと思います。
今回いただいた修正文の一部ですが、「できているお兄ちゃんのやり方を学ぶと、どんどん実力がつくよ。コツコツ積み上げて、もっと実力をつけていこうね。すると、誇らしい自分になれるし、周りからも認められて、本当の1番になれるよ。不安な時は大人の私が励ましてあげるから大丈夫だよ。あなたならできるよ」というものでした。
これを読み始めると、兄との関係性が劇的に変わり、お互いを思い合えるようになりました。兄に感じていた思いもすべて私の思考から生まれたものだったのです。
フラクタル心理学を続けて学んできて本当に良かったと思っています。ご教授いただいた講師の先生方からは、いつも適切なアドバイスをいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。今後、フラクタル心理カウンセラーの資格も取りたいと考えています。そして、琉球舞踊の弟子たちの育成をしながら、私が身を以て体験したことを通して、自分の思考が現実化することや、人生は自分でコントロールできることを、弟子や仲間たちに伝えていきたいと思っています。
*謝罪ワーク:イメージの中の相手に向かって土下座するワーク
2025年1月発行TAWプレスに掲載
文:(株) Mamu&Co. 藤田理香子